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オープンイノベーション実践者との対談(第6回)
三菱化学株式会社 執行役員
経営戦略部門長
浦田 尚男

第6回のゲストにお迎えしたのは、「Good Chemistry for Tomorrow」を合言葉に、快適な社会の実現を目指す、三菱化学株式会社の執行役員・浦田尚男氏。
時代の変遷とともに大きな変化を遂げる化学業界にあって、今求められる「時代の先を読む力」「変化に対応する力」とは何か。さらに、次世代を担うコア事業の開拓、そして、研究者の意識改革とは───。
業界トップに君臨する三菱化学のR&D哲学、そして未来について伺いました。

顧客とのキャッチボールが、「未完成技術」を磨き上げる

諏訪本日はお時間をいただき、ありがとうございます。昨今の事業環境の変化をどのように捉えていらっしゃるのか、また、この変化に対して、三菱化学のR&Dはどのように立ち向かっていくのか、率直なご意見をお伺いできればと思います。
では、どうぞよろしくお願いいたします。

浦田こちらこそ、よろしくお願いします。
早速ですが、諏訪さんがご指摘いただいたように、R&Dをとりまく環境が近年変化したことで、研究開発の進め方が、以前とは異なってきたように感じています。
その大きな理由を化学会社がたどってきた歴史と照らし合わせて考えると、以前は、石油化学という大きなインフラを製造するための研究開発が中心でしたが、時代の変遷とともに、情報電子や機能化学といった、新たな分野への材料提供が増えてきたことが背景にあります。
そのため、開発にかかる時間が以前はゆったりと流れていたのに対し、近年は開発スピードがより加速し、それに伴い研究開発の進め方にも変化が生まれてきた。従来の石油化学の意義は依然と全く変わっていないのですが。

諏訪まず、従来からの石油化学ですが、事業としては以前と変わらず規模は大きいけれど、R&Dとしては基盤技術がすでに構築されているため、研究開発にそれほど時間を費やさなくてもよくなったということですか?

浦田そうです。これは、三菱化学だけに言えることではなく、他社さんにおいても同じことが当てはまるのではないかと思います。基盤技術の完成度が、かなりハイレベルなところにまで到達していますから。

諏訪一方で、情報電子や機能化学の研究開発の進め方は、石油化学とでは、どのような違いがあるのでしょうか?

浦田まず、情報電子や機能化学の分野には非常に多くのお客様がいらっしゃるため、材料品質の「規格化」が難しい。

諏訪「キカク」とは、商品企画の企画ではなく、「Standardization」の規格ですね。

浦田そう。例えば、ポリオレフィンについて申し上げますと、以前はそれほどグレードがありませんでした。
しかし、今日の機能商品では、個々のお客様によってニーズが少しずつ変化しているため、例えベースの材料は同じでも、お客様に応じた個別の対応が欠かせません。そのため、その都度、開発の必要がある。
それに、情報電子や機能化学の分野は石油化学と比べ、時間軸が圧倒的に早い。今、研究開発で手掛けているものを例に挙げると、もう少し先でくるだろうと思っていた要求が、あっという間に来てしまう。しかし、そうした要求に応えられず、2番手、3番手になってしまうと、企業として得られる利益もそれなりに減ってしまいます。そうした市場の要求に素早く応えるには、自分たちの計画を前倒しにすることもやむを得ないと考えています。

諏訪感覚的には、どのくらい期間が短くなっていると感じていますか?

浦田3年後に来ると言われていたものが、来年くる…。

諏訪そんなにもですか!

浦田そのような状況です。ですから、3年後に達成できるような研究計画を立てていても、すぐに変更を余儀なくされるので、常に前倒しで開発を進めていく必要があるのです。

諏訪3年後に来るはずだったものを来年手掛けるとなると、かなり大きな変更ですよね。そこに照準を合わせようとすると、相当なリソースを突っ込むなり、計画を大幅に変更しない限り、到底間に合わないように感じるのですが。御社ではそのような事態にどう対処しているのですか?

浦田そこの判断はテーマごとの戦略によって異なります。そうした素早い変化に対応する上で大切なのは、お客様としっかりと対話をしながら、必要な品質を見極めていく目を持つこと。というのも、お客様ご自身も「本当にどういった品質のものが要求に応える上で必要なのか」、十分見えていないことが多いので、材料の提案を受けてしっかり“味見”をしながら、開発を進めていく必要があります。

諏訪つまり、キャッチボールをしながら、少しずつ狙いを定めていくということですね?

浦田そう。我々の持っている技術の100%をつぎ込んでお客様へ提案しても、ニーズがうまくマッチできればそのまま商品につながるので問題はないのですが、大抵の場合はそううまくはいきません。

諏訪お客さんも何がいいのか結論が出ていないあやふやな段階ですから、当然そうなりますよね。

浦田そう。それにもかかわらず、自分たちの考える100%を出した上で、お客様から「もっとこういう風に改良してほしい」と言われると、技術の粋を詰め込んだものが全否定されることになるので、それ以上どう手を打てばいいのか、答えに窮してしまう。

諏訪それが、できる限りの最適化を図ってたどり着いた、いわば自信作ともいえる材料だと、それ以上の改良に関する要求は受けがたいですし、これまでの努力も無駄になってしまいますからね。

浦田だから、研究開発のできあがり具合としては、100%の完璧さはあまり必要ではなく、むしろもっと手前の、50%、60%程度の完成度で、残りの40%、50%の部分を、お客様のニーズに答えるための余力として残しておくことのほうが、材料開発を極めていく上では重要だと考えています。研究者の性分としては、最初からより完璧なものを生み出しておきたいという、強い欲求があるのは確かですが…。

諏訪「誰にとって良いものか」を念頭に置くということでしょうか?

浦田そう。そのため、「良いかどうかは研究者が決めるのではなく、お客様が決める」という謙虚な気持ちを研究者自身にはしっかり持ってほしいと思っています。長い時間をかけて完璧なものを作ったとしても、お客様から「たいしたものじゃないよね」と言われてしまっては、研究者自身もつらいですから…。そういう意味では、お客様の声にしっかり耳を傾け、要望を反映させながら研究開発を進めたほうが、研究者自身のモチベーションも向上しますし、事業としての確度も高くなりますから、非常に意味があると思っています。

諏訪昔は目標が明確だったので、そこに集中して良いものさえ作っていればライバルに勝つことができました。しかし、今はそうはいきません。それは、先ほどおっしゃった、「規格の多様化」も関係しているわけですね。

浦田そうです。例えば、石油化学の場合、ある化合物名がついたものに対して「純度が99.3%で、コストは○△□円です」と品質や価格で競うことが多かったのですが、機能商品の場合だと、むしろ使いたい側の「もう少しここ、こうならないかな」といった要求や要望にいかに答えるかという「対応力」も求められてきたからです。

 

事業の時間軸を捉えることで、「脱・オール自前主義」を実現

浦田従来の石油化学では、触媒があって、それを効率よく働かせるためのプラントプロセスがあって、パフォーマンスが決まっていました。そのため、それほど多くの機能を持った研究者が必要ではなかった代わりに、深い専門性を持った研究者の集団を組織することのほうが重要でした。しかし今では、そのプロセス技術にも重点が置かれるようになった。
例えば、有機薄膜太陽電池では、フレキシブルなものに材料を塗ることで発電可能な太陽電池を生み出すため、塗る技術や機能を維持するための封止技術が欠かせません。

諏訪酸素や水蒸気が入って有機材料が劣化するのを防ぐ封止技術など、確かに必要な技術は増えますね。

浦田そう。非常に多くの技術が詰まった集合体になっている。
三菱化学は、化学のバックグラウンドを持った研究者の集合体ですから、有機薄膜太陽電池のような、いわば電気関係の川下の領域に入ったとたん、技術が不足していたり、仮に技術を備えていたとしても、力量的に他と劣る部分が出てしてしまう…。何でも自分たちだけの力で進めてこれた時代はすでに終わってしまったのです。そうした状況から、我々は「脱・オール自前主義」をキーワードに、これからの時代を切り拓いていこうと考えています。
かつては「オール自前」でやっていましたが、現在は、専門性の高い技術を持つ会社と共同で研究開発やマーケティングを行うところまで、我々の意識も変化しています。以前の三菱化学では考えられないことですが…。

諏訪外部の組織と組む場合、何をコアとして自前で開発し、何を外部から取り込むのかというか、その見極めが非常に難しいように思えるのですが。もちろん、従来のコア技術は明確かと思いますが、今後自社のコア技術として確立していきたい新たな領域を模索した場合、どこをその領域とするのかの判断が非常に難しい。外部に求める技術の領域を、どのような基準で決めているのですか?

浦田コア技術は簡単に育つものではないので、これまで培ってきた技術をまずは大切にして、その技術をいかに発展させるかが重要だと考えています。どういう有機化合物を作り上げたらいいのかをじっくり検討する「作り方を考える力」は、三菱化学が以前から強みとしてきたところなので、十分ブラックボックス化できると信じています。しかし、その化合物の用途を広げる「プロセス技術」の辺りは、もっと皆さんの力をお借りして、さらに膨らませていかなければならない領域ですね。

諏訪塗布技術や分散技術などの分野でオープン・イノベーションを行う、ということでしょうか?

浦田そう、塗布技術も含めてですね。「オープン・イノベーション」という言葉が世の中に出始めた頃は、「自分たちの技術を全て表に出さないとオープン・イノベーションは成立しないのではないか…」と少し警戒しながら見ていた感がありました。しかし、自分たちの強みをちゃんと理解して、そこをしっかりブラックボックス化できれば、組む相手側としても「その部分は任せられる」と思えるので、きっと心強いですよね。そうすれば、十分、win-winの関係が構築できる余地があると、今は思っています。
ただ、我々は事業化を目指していますから、オープン・イノベーションを行う相手と目指す事業の方向性がずれていなかいか「すり合わせ」していくことも、非常に大切になってまいりますが。

諏訪確かに、エレクトロニクスや自動車産業の大手企業がオープン・イノベーションを進める場合、自分たちよりも、数段規模の小さな企業と組むケースが多く、大手企業側が主導権を握るため問題にはなりにくいですが、材料メーカーの場合ですと、その後の事業展開も考慮して、組む相手に大企業を選びがちなので、ややもすると、大手企業同士の主導権争いに発展することがあります。そのため、常に方向性のすり合わせをしておくことが、オープン・イノベーションを成功させる上でより重要になってきますね。
組む相手が小さいと、技術供与をする側とスケールアップやグローバル展開を担当する側、という具合に、お互いの役割がより明確になるため、方向性のすり合わせは容易になるように思いますが、御社では、欧米に比較的多いフィラーなどを開発する材料ベンチャーや、特殊な加工プロセスに特化したベンチャーなどとの協業も、今後増やすお考えですか?

浦田確かに、現時点では「産産連携型」のオープン・イノベーションを行う場合、自分たちから見える大手の「産」へ声をかけがちです。しかし、ベンチャーは一つの技術をものすごく深く追求していますから、うちの持っている材料技術とうまく組み合わせることでものすごい機能を発現できるのなら、当然ベンチャーと一緒に手を組むこともあると思っています。

諏訪具体的に組みたい技術領域があれば、教えていただけますか?

浦田次の世代の事業をイメージした技術開発に、ベンチャーの力を借りたいと思っています。しかし、そこはまだ非公開の領域なので、このような形で大々的に伝えるのは難しいですね。(笑)
ただ、優れた技術を保有しているベンチャーは数多く存在するので、なかなか手に入らないベンチャーの情報をどのように集めてくるかが今の問題です。そして、多くのベンチャーの中から、候補を複数選び、さらに一社に絞り込むためには、我々が技術を見抜く目を持っていることも、さらに重要になります。しかし、そうした技術力を判別するには、ある程度、自分たちでその領域の技術を研究しておかないと、見抜く目は養えません。

諏訪確かに、そこを丸投げにしてしまうと、どんなに素晴らしい技術を提案されたとしても、その技術を適正に評価できないですからね。

浦田そう。だから、今、技術力を見極めるための研究開発も、同時に手掛けておく必要があると、強く感じています。

諏訪そのような開発をしている研究者は、自分たちの主な役割が「目利き」である、と認識されているのでしょうか?

浦田それはないと思います。「何とか自分たちでいいものを創りたい」という強い思いがないと、研究開発はできませんから。

諏訪なるほど。彼らの研究が、実際は「コアを目指すわけではなく、目利きとして判断力を養う」ためのスタートだったとしても、外部とどんどん協業することで徐々に力を付けることができれば、結果的にコアの技術も育っていくというわけですね。

浦田そう、技術は吸収できますから。研究者自身の手でコア技術を育てていくことが理想ですね。

諏訪しかし、「何とか自分たちでいいものを創りたい」という思いが強くなるほど、ついつい自前主義に走ってしまう結果を招いてしまうようにも思うのですが。「脱・オール自前主義」を進める上での基準や仕組み、また何か工夫されていることはありますか?

浦田逆に、諏訪さんなら、どうすれば研究者の意識を変えられると思いますか?

諏訪最近のトレンドでは、「難しい壁にぶつかったら、積極的に外部の技術を取り込んでいって欲しい領域」をあらかじめ定めておく会社が増えています。研究者は、たとえ自分の得意領域でなくても、「何とか自分がやらねば」と思い込んでしまいがちですから。
トップダウンでそうした「領域を決める」ことができれば、外部との協業も考えやすくなる。また、会社がオープン・イノベーションを推進すると決めた「領域」であれば、予算的にも意思決定的にもハードルが下がるため、協業を進める上での成功率も高まります。
そして、その成功体験を社内に周知する、というのも重要なポイントです。
オープン・イノベーションの成功体験は、どうも日本では大きく宣伝したがらない傾向にあるようで、同じ社内でも隣の部門がやっていることすら知らなかったりしますから。大半の日本企業では、知り合い同士の口コミでオープン・イノベーションが広まることが一般的です。
ただ、先ほど申し上げた「領域を決める」という話は、あくまで「壁にぶつかった場合に外部を活用すべき領域を決める」ということですので、コミュニケーションの仕方を誤ると研究者のモチベーションに大きな影響を及ぼすため、慎重に進めたほうがいいですね。

浦田そうですね。私が、研究開発において大切にしているのは、「時間軸」です。
研究者に、「あなたの課題はこれですよ」と伝えると、彼らは何とかしてそれをやり切ろうと努力します。その時のマインドは、漠然と3ヶ月後、1年後、もしくは5年後には完成させられるだろうという感覚です。でも本来なら、「事業化のタイミングを考えると、この技術は○年△月までには完成していないとだめだ」という、時間に対する感覚や意識をしっかりと持っておくべきなんです。なぜなら、事業のタイミングは我々が決めるのではなくて、社会のニーズが決めるものですから。
時間軸を明確に意識できたなら、「自分一人で進めていては、今のままの延長では事業化には間に合わない」ということにも気付くはず。そこでどう軌道修正すべきか、研究者自身にはしっかり考えてほしい。

諏訪つまり、開発に「時間軸を持つ」ということですね。

浦田そう。もちろん、「マイルストーンを決めて、ここまでにはこれができていて、その次のステップとして、次はこんなことをする」という複数年の研究計画は事前に作っていますが、それは基本的に研究者自身の考え方で、その計画にマーケットの状況がちゃんと反映されているかというと、必ずしもそうではありません。そういう意味で、事業という視点で開発に「時間軸」を入れる意識が、これまでの三菱化学では少し希薄だったように思います。

諏訪では時間軸に対する意識をより明確に持つためには、どうしたらよいのでしょうか?

浦田研究者にはできるだけスケジュールを前倒しして進めるよう指導しています。研究者の甘えを許さないためにも、計画に時間軸をしっかりと意識させることが、「脱・オール自前主義」につながると考えてのことです。
自分たちの力だけで新しいことを進めていては、事業化までに一体どのくらい時間がかかるのか、道筋は見えてきません。その上で、確固たる技術を持つ人たちと組んで開発に取り組めば、互いの時間も短縮することができますからね。

諏訪「時間軸を意識して自発的に外部と組む判断」をすれば、研究者のモチベーションという問題も克服できますね。材料開発というのは、最初の立ち上げにものすごく時間がかかると聞いています。材料にしてもプロセスにしても、研究者が時間軸を意識することで研究に足りない部分を認識し、それを補完するために、スキルを蓄えた良きパートナーを見つけ、ともに開発に取り組む。これらの循環がうまくいけば、開発の速度は大きく加速しますからね。

浦田まさにそれが、三菱化学のR&Dにおける「脱・オール自前主義」の狙いです。

諏訪「オール」をつけるのは、「ただし、何でもかんでも外でやるわけじゃないよ」という、三菱化学としてのメッセージでしょうか?

浦田「自分たちのコアは、自分たちのコアとしてしっかり使います」という強い意思表示です。

 

「事業」「R&D」「知財」の連携。そして将来を担う新事業の種

諏訪開発までに「3年かかると思っていたところが、1年に短縮しなければならない」という時間軸に関する情報は、どの部署から入ってくるのですか?

浦田事業部から入ってきます。三菱化学では、「事業戦略」「R&D戦略」「知財戦略」の三位一体の運営を、戦略の一つに打ち出しています。事業のためにR&Dを行い、事業として実質的に実施することができるような「知財戦略」を立てることで、事業とR&Dの相互の知財がシンクロして動くことを目指しているからです。

諏訪事業とR&Dの連動は、すでに開発した材料を事業化するという短期的な視点においては、非常にイメージしやすいですよね。しかし、材料開発の視点で考えると、そううまくいかないようにも思えます。なぜなら、材料開発は、モノによっては5~10年くらいの時間が必要ですよね。事業はそんな先まで見通せないので、R&Dが先行すべきではないかと思うのですが、その点はどうお考えですか?

浦田確かに、研究をスタートさせ、研究開発が順調に進み、マーケットもあって、事業化して利益が得られるまでの期間を考えると、新しい事業に関しては、10年の時間軸が必要です。そのため、新事業に関しては、「APTSIS 10」という2008年5月に発表した経営戦略の中で、将来我々の収益となるような主力事業を育てるための創造事業として、「有機太陽電池」など7つの領域を明確にし、新しい技術を育ててまいりました。

諏訪さらに今では、「有機光半導体」「サステイナブルリソース」「次世代アグリビジネス」「高機能新素材」「ヘルスケアソリューション」を加えた6つの領域も重点領域として掲げていらっしゃいますね。創造事業はどのように選ばれたのですか?

浦田そこは経営として戦略的に「こういう事業を次の世代として打ち立てるぞ」とトップダウンで決めました。ただし、研究開発自体は、2008年より前からすでに進めていた領域の中から選んでおり、それを創造事業として方向付けていますが。

諏訪創造事業を支えるコア技術として、じっくりと育てるためですね。

浦田ええ。その目標に向かって、リソースを集中的にかけていこうと考えています。三菱ケミカルホールディングスの社長の小林が2005年にCTOに着任する以前は、研究テーマが山のようにありました。その状況を見て、あまりリソースを分散させるとどれもが大きく育たないのではないかと危惧した小林が、トップダウンで、打ち立てるべき事業を絞り込み、明確にしました。今でもその考えの下、研究開発は進められています。
だからといって、明確な事業ばかりに集中しているわけではなく、コーポレートとしては、研究者が主体となって、次の創造事業を担う新たな研究開発も同時に進めています。

諏訪その次、となると事業サイドの計画もまだイメージできていない段階で、時間軸を明確に設定するのは難しいように思えるのですが…。また、そのような新しい研究を見極める、判断基準はあるのですか?

浦田三菱ケミカルホールディングスが掲げる「Sustainability [Green](環境・資源)・Health(健康)・Comfort(快適)」の3つの判断基準に照らし合わせて、研究に取りかかるかどうかの判断をしています。我々としても判断基準が明確であれば、「これはきっとこんな用途で使用されるから、サステイナビリティの領域に当てはまる。だからこの研究を進めていこう」という、後押しにもなりますから。
そのため、研究開発の初期段階では、必ずこの判断基準を当てはめ、方向性にズレがないかを確認しています。
そうは言っても、マーケットが全く想像できない状況での判断は非常に難しいので、あらかじめ社外も含めた関係各位に、事前に相談してはいますが。

諏訪それは、今のお客さんも含めた社外ですか?

浦田そうです。「この材料を使うとこんな変化が起きるので、製品化するといいでしょ」という感じでね。初期段階なので、あくまで大まかな方向性だけではありますが、お客さんから多くのポジティブな反応をいただけると、今後の市場形成にも大いに期待できます。

 

求めるのは「専門知識」ではなく
「壁を乗り越える力」と「研究力」

諏訪ここまでお話を伺ってくると、技術が未完成のままお客さんと対話をしたり、将来の市場を予測してイメージしたり、時間軸を意識して社外のパートナーと組んだりと、従来とは異なるスキルを研究者に求めていらっしゃるように感じました。
御社では、これまでと異なる動きを研究者に期待していらっしゃいますが、そのような会社の考え方の変化に、研究者は自然と対応できるものでしょうか?

浦田もともとの素養ももちろん影響しますが、研究機関の雰囲気だとか、人材の育成方針・育成プログラムによって、大きく変われると思っています。

諏訪ということは、採用の段階でも、そうした変化に応じる「対応力」を見ていらっしゃるのですね?

浦田そう。アカデミックの世界で評価されるような、「10年という時間軸で一つのテーマに集中して成果を上げる」という考え方を持っていては、必要とされる領域がめまぐるしく変化する企業の研究において、その力を発揮するのは少々難しいように思いますから。
また、細分化された分野のみに高い専門性を持っていることも、企業の中ではなかなかマッチできません。
そのため、大学の修士や博士課程を経た方を「どのような研究に取り組んでいたか」ではなく、「どのような『研究の仕方』をしてきたか」という視点で評価しています。
大学では、先生から研究方針に関する指示が明確に出されると思いますが、大抵は思い描いたような結果にはたどり着けません。しかし、壁にぶつかった時にどういうプロセスを経て壁を乗り越えるのか、大学で学んでいるはずですから。

諏訪「専門性」ではなく、「研究する能力」を評価されているのですね。

浦田そう。ですから、企業の研究においては、大学で有機化学を学んだ研究者であっても、無機化学をテーマに与えられることがあります。
会社としては、今は無機化学の「研究」をやってほしいからそうするのであって、さらに言うと、大学で学んだ「研究の仕方」を無機化学でも活かしてほしいから、研究者にはそのようなテーマが与えられたと理解してほしい。もちろんスタートする上では、無機化学の勉強をしてもらう必要はありますが…。

諏訪大学で「研究の仕方」を養ってきた研究者は、世の中の環境変化に対応する力をすでに備えているわけですから、企業での活躍の場が増えそうですね。

浦田そうですね。企業の研究所が一つのテーマを長年追い続けるということは、まずありません。私は研究者に対して、一つの専門性にこだわらず、「研究の能力」を活かし、磨いていきながら、極めるまではいかなくても、3つくらいの専門性を自分の能力として身に付けてほしいと思っています。

諏訪時代が変わり、事業がどんどん変化しても、これこそまさに「研究の能力」を活かす場だと考えることができれば、それはむしろ、いろんなチャレンジができる絶好の機会だとも捉えられますからね。

浦田ですから、研究者には常に柔軟で前向きな気持ちで研究開発に取り組んでほしいですね。

諏訪本日は、技術が完成する前のお客さんとのキャッチボールの重要性、事業の時間軸を考えることによる「脱・オール自前主義」。「研究の仕方」を学ぶことの重要性、変化に対する適応力を身に付けることの大切さなど、さまざまな視点で、貴重なお話を伺うことができました。本日はありがとうございました。

浦田こちらこそ、ありがとうございました。

(2013年6月14日)
PROFILE: 浦田 尚男(うらた ひさお)

1984年3月 東京工業大学 総合理工学研究科博士課程 修了
1984年4月 財団法人相模中央化学研究所 入所
1991年1月 三菱化成株式会社(現三菱化学株式会社)入社
2000年5月 筑波研究所 合成研究室長
2003年7月 (株)三菱化学科学技術研究センター R&TD事業部門、有機合成・錯体触媒研究所長
2010年4月 経営戦略部門経営企画室長
2011年6月 執行役員(現任)、株式会社三菱ケミカルホールディングス 執行役員(現任)
2012年4月 経営戦略部門長(現任)
株式会社三菱ケミカルホールディングス
グループ基盤強化室R&D担当、グループ基盤強化室知的財産担当(現任)